「価値あるもの」に出会うために

こころの声

失うものよりも、より大きな
「価値あるもの」に出会うために。

「手放すことの怖さ」は、
時間・お金・情熱の投入に比例して、
大きくなるもの。

それらは、その時は迷っても
「執着」や「概念」を捨ててしまえば、
何でもないことであったりする。

ただ、見える視点が一方だけだと、
それに伴う精神的な壁(ダメージ)が、
高く感じるかもしれない。

例えば動物も、檻の中に閉じ込められて、
初めは抵抗していても、

それに適応してしまうと、
身動きがとれない不便さよりも、

檻の外への恐怖を、感じてしまい、
檻の中にいることで、

安心感を保っているような「錯覚」さえ、
起こす場合もあるかもしれない。

人間も同様に、そのような心理作用を、
起こすことがあるとも思います。

檻は、すでに無いにもかかわらず、
そこから動けない、

抜け出せれないような、
心理的な「檻」の中に、
いるかもしれないということ。

例えば「宗教」や「信仰」を持ちながらも、
そこに喜びと幸福を、感じていないなら、
かけ離れた所に、いるのかもしれない。

何かに囚われた「檻」のなかにいるまま、
人生を、終えてしまうかも知れない。

「宗教」や「信仰」も「選択」も
自由意思の選択であり、縛られ、
囚われるものでもありません。

目に見えない世界は、
確かに存在し、目を開くというのは、

見えない世界の『眼』を
開くことにも通じると思います。

改めて思うことは、
生命を与えてくれた、両親に感謝し、
手を合わせる心を、大切にすること。

この生命から、大切にしないといけない。
人生は一瞬のように終わってしまうから。

貴方らしい『人生の生き方』を、
見つけ出していくことを願います。

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