ご先祖様が徳を積まれた上にある”御縁”

永代先祖供養

”蜘蛛の糸”から見えるもの

誰しも、一度は
聞いたことのある有名なお話。

芥川龍之介の、蜘蛛の糸。

私も幼い頃に
聞いたことがある話ですが

この物語を改めて
「今」読んでみた時に
新たな気付きを与えてくれました。

このお話では、大泥棒のカンダタが
蜘蛛の命を助けたことから、

お釈迦様が
蜘蛛とカンダタの「縁」をもって、
蜘蛛の糸を垂らしてもらったもの
(救いのチャンス)でもありました。

仏教では、縁を非常に重視していて、
「縁がなければ助けられない」とまで
言われる程です。

カンダタは、細いクモの糸を掴んで
上へと上がっていきますが、

下から上がってくる、多くの罪人達をみて、
糸が切れるのを恐れ
「俺のものだ、おりろ」と叫んだところで

掴んでいたすぐ上から、
糸が切れてしまったとあります。

その叫びは『自分さえ助かれば、
他のものはどうなってもいい。』という、
現れでした。

仏教ではこのような「自分さえよければ」
という姿勢を「我利我利」と呼び、
非常に嫌われます。

この物語では
「我利我利では
本当の幸せにはなれない」

ということを、

蜘蛛の糸が切れる=地獄へ落ちる
というように表している
ことでもあります。

とても強く感じたのは
『縁がないと、
相手を助けることはできない』

ということです。

これは善行、徳積みからの縁です。
仏縁とも言えます。

このお話の中では、
蜘蛛とカンダタの縁ですが

これが、ご先祖様が
徳を積まれた上にある
『天縁』
であったら…

永代先祖供養は
神の願いであり神の功徳です。


神に繋がる恩師を通して
こそ
神の元へと

還ることができるのです。

その天縁に至る
恩師の第一弟子の
かわさきゆりさんとのご縁が
いかに大切かということも然り
です。


永代先祖供養に辿り着く人は、
ご先祖様の中に、
必ず徳を積まれた方が居られます。


御先祖様が徳を積まれて、
大切に集めてきたものを、

今の「時」を生きる
子孫である自分が
担っているものでもあります。


ご先祖様と子孫を含めて、受ける恩恵を
「自分」だけの欲心や利己心を、
優先することによって「天縁」に気付かず、
断ち切ってしまう
という事は

尊い徳・善行による「縁」を失い、
自分だけでなく、血の繋がりをもって、


御先祖様、子孫と共に
難しい立場に立つ
ようになります。
因果応報ということです。


そのチャンスが、
その家系に再度訪れるのは
子孫が、より多くの徳と善行を
積んでいかなければならないし、
何十年という単位ではなくなるでしょう。

お釈迦様は、
その課程と結果を見られて、
立ち去られましたが、

その縁をどう結び、生かすかは、
あくまでも「本人」の選択なのです。

解釈は、個々人で違いますが
伝えたいことは、自分という存在は、
自分だけの為にあるのではないという事
です。

ご先祖様が、とても厳しい中におられて
「どうにか子孫に気付いて欲しい」と

切実なる思いを
持っておられるという事に
心を向けて下さればと思います。

先祖代々のご先祖様は
子孫である貴方しか救えないのです。

家系図・永代先祖供養、その他
家族の悩みなど、相談賜ります^^

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