「ご供養している」ことと
「浮かばれている(成仏)」ことの違い。
ご供養とは
亡くなった人の冥福を祈り
仏壇にお供物や、花をお供えしたり
お墓参りや法要などの行いをもって
故人、ご先祖様への
感謝の意をお伝えすることです。
故人、御先祖様への感謝を
お伝えすることは本当に大切ですし
生命の尊さと感謝を育むものですが…
御先祖様の立場としては
浮かばれるのではないです。
結論は
御供養していることと
成仏されていることは違う
ということ。
霊魂はこの身を離れても生き続けます。
生きている私たちでも
執着、妬みや嫉妬などの
「思い」や「念」というのは
とても強いものです😰
そのような執着や念や恨みを
持ったまま、この身を離れれば
その念を抱えたままの姿が
あの世での魂の姿です。
この世に残した恨み…
人が人に対して生じた恨み…というのは
とてつもないものがあります。
村を焼いたり、追い出したり
死に至らせたり…
その恨みが家系につくと
末代まで代々引き継がれる…
ということもあります。
その場合、憑くのが一体ではなく
物凄い数の霊魂が集結(合体)します。
感謝の意を伝え、心から謝るとしても
実際に想像を絶する悲惨な事実や
事情を知らず、恨みを解くことは
容易でないのは当然です。
成仏することは、仏になるとか、
悟りを開くなどの
仏教用語でもありますが
ここでお伝えする成仏とは
わかりやすく言えば
無念の思い(恨みや憎しみ)や、
苦しい思いが晴れること。
慰労されることは、一時的なので、
根深い恨みは解けません。
私たちも、窮地の時の同情や慰めは
一時的に楽になるようでも
その状態から自身が抜け出せないと
ずっと続くのと同じです。
霊魂にとっては
神元に還る(成仏する)こと
は切なる願いです。
その願いを叶えて下さる
唯一の方法が「永代先祖供養」です。
御先祖様の霊魂は神元に還ることで
光年の長い間抱えていた
苦しみや痛みや
憎しみなどから解放されます。
(因果が解かれる)
そしてはじめて
無念なる思いが、報われるのです。
他の誰かが冥福を祈ってくださっても
御先祖様は自分のことだと気づきませんし
浮かばれることはないです。
一方通行のご供養でなく、
感謝の意をお伝えするとともに
先祖代々の御先祖様を
「成仏してさしあげること」が
重要です。
供養とは【人】がご先祖様と
【共】に【養う】と書くように
お互いに感謝の気持ちを
養うということです。
年に2回の行事ではなく
365日、神元に還られた
ご先祖様に感謝を捧げ
ご先祖様と「共に暮らす」ことが
本当の御供養です。
神元に還られた
浮かばれた御先祖様は
子孫の未来永劫の幸せのために
全力で導いてくださいます。
私たちの安らぎと
御先祖様の心からの安寧は
神元に還られてこそあります。
人類の幸福
永代先祖供養は神の答えです。

