信じるという決心

永代先祖供養

人と人との関わり合いの中で
信じることは
大小に関わらず生じてきます。

信じてみようとすることから
色んな関係性が生まれて来ますし

信じることはある意味
前提にあって進むのが
物事でもあるように思います。

それでも人生には
思いもよらず生じる問題に
直面することもあります。

その時に人は
「何を信じていたのか」に
気付くことがあります。

私自身も、いい人(であろう)と
思っていた人に、お金を預けて
そのまま返ってこなくなったり😅

御縁と思い、投資をしてみたら
そのまま飛んでしまったり😅

その「結果」は事実ですが
その前に信じて選択したことは
自分の責任です。(因果応報)

お金に執着する時間の方が無駄だし、
誰かを恨むこともできません。

そんな経験のあとに
永代先祖供養に出会い、
真理に生きる中で

恩師の「信じること」の
メッセージに触れた時
とても深い気付きと感動がありました。

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もし、相手が信じるに足る
行動をとってくれたら
信じられるのに、と思うとしたら

いつまでたっても相手を
信じることはできないと

私は思います。

相手を信じるときに必要なのは
相手が与えてくれる何かではなく
自分自身の「決心」だからです。

やっぱりここでも自分。
自分が相手を信じると

「決める」それだけ。

決めることには、責任が伴います。
責任とは、重苦しいものではなくて
自分が決めたことによって
起こった現実はすべて受け入れる
という覚悟です。

相手の態度いかんで
信じるかをきめるのではなく、

自分が心の中で、

相手を信じると決めて、そのあと、
うまくいっても、いかなくても

起こった出来事を受け入れる
覚悟ができているかということです。

まず先に「自分の決心」がある。

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恩師は勿論、それを強要することは
一切ありません。

恩師の
「信じる」という世界に触れた時に
根本的に何をもって信じるかを
教えていただいたように思います。

恩師が”光の中にある”
一人一人を信じて下さっている
心(愛)に対して、誠実でいたいという
純粋な思いが、魂に刻まれたんです。

仲間との関りの中
時には、イメージとは違っていたり
見たり、知ったり、直面したりしても

それは、成長過程における
「一つの側面」であると、
捉えれるようになりました🥰

人生において、また永生において
誰と関わるか、ご縁を結ぶかは
とても重要であると思います。

初めは、信じよう、信じたいと
思う自分の思いを大切にしながら
成長段階につれて、そこから一歩一歩と
上がっていくものかもしれません☺

それは「器」を広げることに
向かっているのだと思います。

私自身、持ち続けている
とても貴重な気付きを忘れることなく、
ここに残しておきたいと思います😇🙏

距離を超えても
信じてくれる人がいる。
期待してくれている人がいる。

それは、誰しも大きな心の支えに
なるのではないでしょうか🤗

出会おうとしても出逢えない
「奇跡的な出会い」を
見逃さないように😌✨

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