魂を磨く事と、信仰の目的

永代先祖供養

私は、幼いころから母の縁から
倫理や宗教とのご縁があったり、
社会生活でも御縁もあり、
見えない世界においては
関心を持っていたほうでもあります。

個人的に、本質的なことに
関心があります^^

今は宗教やスピリチュアルも、
否定はしないけれど
自己啓発として捉えていますが、

宗教や信仰の有無で、境界線を
引く思いは全くないです。

今思えば、
神仏、魂、師弟関係、信仰などに
不思議と御縁があったのも
今に繋がるものであったと思えます。

最近、私自身の経験も含めて
思うことのひとつに

例え、信仰歴が長くても
「魂が磨かれているか」
「人として魂を成長させ続けているか」
というのとは、別問題なのだなと
正直に感じています。

感性は、磨けば磨かれますし
研ぎ澄まされれば、鋭くもなりますが

霊性が上がれば、波動が上がるとか
霊感が高ければ、波動が高いとは
限らないのだなと。

信仰=魂を磨くこと ではなく、
イコールでも、比例してもいないということ。。
むしろ、魂が暗くなっている人も…
多いように思います😔

何故なのだろう?そう、純粋に思いました。

宗教にもよりますが、
魂を磨くことに
目的を置いてないからなのだなと。
(信仰の目的がそこにないということ)

順番を飛ばして、神に向かっても、
目の前の両親やご先祖様を疎かにして
神様が喜ぶはずもないですよね。

波動が低いと、神様との波動とは
差がありすぎて見えない、気付いてもらえる
ことが出来ないことも納得ですし、

やはり、因果を持ち合わせたまま
そこから抜け出さなければ、逆に低波動に
引っ張られてしまうことも多いです。

地に足がつかずに、崇拝に偏ることで、
人格を磨く、魂を磨くというのが、
疎かになってしまうのだなと思います。

愛と犠牲と奉仕を語りながらも、
心では不平不満、妬み、嫉妬…を抱えていたら、
魂を磨くことはできないからです。
その内なる心のギャップが苦しみを生みます。。

人生の目的は魂を磨くこと
”この世でどのような、心と行いで生きるか”
それを、正しく学ぶことが大切です。


魂を磨くとは
また、人格を高める、人としての心を磨き、
愛と思いやりと優しさに満ちた、
豊かで美しい心の姿(魂)へと成長することです。

人としての学び、善の実践として
仏教の教えにも、わかりやすく
大切なことが沢山あるからです。

善きものを取り入れて
実践することで、共に魂を磨いていく。

宗教の有無に関わらず、
ご先祖様は間違いなく、
貴方の生命を繋げて下さった方です。

両親、ご先祖様に感謝出来ない人の声が
神様に届くはずがないのです。

まず、ご先祖様に感謝と敬意をもって
家系図を作り、永代先祖供養をして差し上げて
神に繋がる道を選択されますように😌

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