共栄共存の心と真理に生きる

永代先祖供養

【桃太郎 芥川龍之介から見るもの】

”桃太郎”と言えば、日本昔話でも有名です。

昔むかし、あるところに、
おじいさんと、おばあさんが住んでいました…と
始まるナレーションが、今も目に浮かびます( ̄▽ ̄)

桃から生まれた桃太郎は、誰しもご存じの
鬼を退治し、勧善懲悪の物語ですが、
また視点の違う観点での物語があります。

芥川龍之介の「桃太郎」です。https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/100_15253.html

この『桃太郎』においては、
鬼を鬼たらしめたのは、他でもない桃太郎自身。
桃太郎側が侵略者です。

この物語では、時代背景というものではなく、
人間のエゴというものをよく捉えています。

桃太郎と鬼たちの人物像の違いや
偏見と決めつけからの固定観念。

何よりも、人間の内に潜んでいる、
傲慢さ、欲心、利己心、支配心…

自分さえよければよく(我利我利)
「愛」「思いやり」「利他の精神」の
欠片もありません。

二つの桃太郎の話のように、
人は、両面(陰陽の善悪)を、持ち合わせています。

人間は、自由意思を与えられていて
日々、小さなことからも全て、
常に”選択”を繰り返しています。

”思考と心の善悪”+”行動”の選択です。

どちらを選択するとしても、
自ら選択したものであって
その選択の代価は、意識の有無に関わらず、
受けとる(残る)ものです。

その思いの種(動機)から、実を結んだものは
争いと、末代まで続く恨みです。

宝の山をいくら手にしても、
そこから生まれた「復讐心」
代々受け継がれる代価は、遥かに大きいです。

また、この桃太郎と共にした、
家来の最期もよくないですが

直の家来でなくても、共に関わるのも、
同じように負うものです。

事情がどうであれ、
負の枠の中にいるというだけで
同じ波動、因を受けるからです。

最終的な「実」を見れば
その種がどうであったのかは
時間の経過と共に、原因結果として現れます。

時に、その事実が
人生を覆されるようなことであっても
その事実を直視し、受け入れる時、
新たな選択、一歩を踏み出すことが出来ます。

そういう意味でも、事実を直視することや、
執着を手放すというのは、大切です。

人生を、また心を豊かに生きる選択は
いつも自分の中にあります。
出会いは人生を変えます。

この二つの物語を見つめながら
人として生きる事、
共栄共存の精神に、欠かせない
生命、愛、思いやりの心、利他の心…

真理に生きることは、その実践であるなと、
改めて思うものです^^
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自分が生きて存在することの意義、
「自分の生命の意義」を与えて

くれるのは「他の生命」なのです。

自分が他の生命に与えた影響
(自分の生命の意義)は、

他の生命から、他の生命に伝えられ、
自分が死んでも、永遠に存在し続けます。

つまり他の生命は、

「自分の生命の意義」を
永遠に生かしてくれるのです。

この地球に生命が、

存在し続けるためには、

「良い影響」を取り入れて、
それを大切に守り、後世に
伝えて行かなければなりません。

そして「悪い影響」は、
その場ですぐに捨て去らなければ
ならないのです。

自が他の生命に与える

「良い影響」だけが、
永遠に伝わって行くのです。
~恩師より~


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