最近、夫の何気ない返事に
凄いなと思うことが多いです
因みに、私達夫婦はご供養に至るまで、
このような話をしてきたことが
殆どないです。最近増えました
夫は永代先祖供養のことも
よくわかってません。
幾度かお伝えしてますが、
韓国では普通、家に御位牌や仏壇は
置いてありません。
そういう風習はないからです。
夫はそれを、反対することなく
受け止めてくれたこと自体
本当にめずらしいと思います
それで、普通は仏壇やお位牌に対する
違和感はあるのかなと、夫に聞きました。
夫は 、チェサだと思えばそうでもない。
(チェサしてきてないのに)
嫌な人は、話しても仕方ないものだと。
般若心経を唱えるのは
”自分も息子がそうしてくれたら、
嬉しいように、ご先祖様も同じだから”
と、単純明快で、それだけ
ご先祖様の立場に立てば
わかる思いでもありますね
私は正直、凄いな…と思いました
確かにその通りなんですよね。
ただ、そう思えても
踏み出せない人が多いからです。
人だから、先に確保しておきたいもの
というのはあるものだし
確かに衣食住において、不安が多いと、
それも厳しい現実です。
とはいえ、家や車があっても
喧嘩や、問題が絶えないと
”心の安らぎ”はありません。
何を優先とするかですが、
悩みさえも
”この生命”があってこそです。
そもそも”お金”も
”自分のもの”でもないし、
”自分のもの”としてれば、
循環されないし
そこに執着していては何も生まれません。
「お金=紙=神様」ですので、
使い方をみられてるんですね。
何も知らない夫が、先出しをしてから
自ら手を合わせて、感謝する姿を見ながら
ここに繋がり辿り着いたのは
ご先祖様の徳縁だなぁ…と
心から思うんです
永代先祖供養は神の功徳であり、
今までの先祖供養とは違います。
神仏なら”どこでもいい”のではなく
”神仏に繋がる”正しい先出しを
することです。
どんな心で何を優先するか
”どこに先出しするか”が
本当に重要だと思います。
今までの神仏への先出しが
無駄だというのではなく、ここに
出会うための通過点であったと思います。
宗教を熱心にされてたかたも
若さ、時間、お金、やりたいことや夢も
差し置いてきた人も沢山いるでしょう。
その代価に対して、
今現在の自分自身を見つめる時、
内外の正直な姿がどうであるのか、
誰かの言葉でなく、心の声に耳を傾ける
ことは大切なことだと思うのです。
本当に求めてきたものが
目の前にあっても、気付かず
それで終わってしまわないように。
”今”の私達が出来ることは
過去の執着を手放して
「未来を創り出す」ことです
この今の生命は
両親、ご先祖様があってのことと
人としての根本に立ち返って
自らそっと見つめてみてください
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