”死”と”永生”を意識してこそ、見えてくる”生”

永代先祖供養

中学1年生の時、
昼の休憩時間に、一人校庭の隅で

人が死ぬ時、この体はなくなったら
この思いは、どこにいくのだろう…?と
空を見上げ、流れる雲を見ながら
思った記憶があります。

それはある意味
「何のために生まれてきたのだろう」
という思いの表れでも、
あったと思います。

「生と死は、表裏一体」

死といえば、縁起でもないという人も
多いかもしれません。

けれども、
”死” を意識することは、
生きる意味と価値を、
深めるもの
だと思っています。

大きな病や、事故等に直面された人は
その立場に立ってこそ、
見えるものがあり

尊さと儚さの中に、
深い意味を知る
ようになります。

生命の尊さ、そして、時間、家族、友人、
共に生きることも、
今触れて感じる温もりも
食の美味しさも、笑顔も全て貴重で、

「二度とない今を生きる」ことについて
考えるようになります。

瞬間を生きよう、
価値ある生き方をしようと、
思いながらも、

我知らず、執拗に絡まれた
”因果”から抜け出せれず

そもそも本当の自分とは?と
手探りで、探し求めながら

分かったようで、分からず
分からないようで、知っている
自分の狭間で、試行錯誤しながら、
時を過ごしてきたわけです。

その答えが、ここにありました。

”死”を考える時、”生”を考えます。
その上で欠かせないのは、
先祖と私、私と子孫です。


切れているのではなく、
繋がっている関係であるのです。
とても重要なことです。

御先祖様が、どのように生きたかが
今の自分に流れて来ているものでもあり、

今、自分がどのように生きるかによって、
子孫に流れるものが、
違ってくるということを知る時、
自らを正すことにもなります。

本当の基準とは、
ここにあるのではないかと思うのです。

例え、何かのビジネスで成功して、
お金持ちになっても、

誤った集め方、使い方によっては
子孫を苦しみの渕に立たすこともあります。
子孫が、お金の霊障に苦しむという事です。

御先祖様が、積まれてきた徳があっても
子孫が利己的な思いや、自己判断だけで
それを水に流してしまうこともあります。

流れた後では、探し出すことも
再び掴むこともできません。

気付いた「今」という時には、
御先祖様の時と願い、
思いが集結しています。

しっかりと向かい合い、
掴むことです。

『永代先祖供養』をした人達の、
魂の関係は、光の中に共に
生きる者として、

永生まで続く関係です。

こうして日々、お伝えしているのも
一人一人が貴重であり、重要だからです。

その背後のご先祖様の数は、
計り知れません。

今は子孫である私達も、
いずれ先祖という立場になるのです。

神の願いである
『永代先祖供養』をした者は
最高の徳積みの子孫となり、
先祖となります。


徳を積んだ先祖になることは、
子孫を守る立場に立つことです。


今一度
何を優先すべきかを、
共に見つめてみませんか。

貴いご縁にお繋ぎいたします😊🙏

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