ふと、共に過ごした友人や、
仲間を思い出すことがあります。
元気かな?どう過ごしているんだろう?
そう思いながら、久々に連絡が取れた時
その人が、豊かで、幸せに満ち溢れていたら、
どんなに嬉しいでしょうか
けれども、大変な環境の中で、
苦労していたら、胸が痛いですし、
共通の知り合いの、家庭の切ない事情を聴けば、
心が痛いです。
ほどほどに、幸せであるようでも、
不安を抱いている人が多いです。
10年、20年以上になると、それぞれの環境も、
状況も変わっているのは、当然です。
互いの事情や、環境が変わったとしても
縁が遠くなったからといって、
苦労も、涙も、笑いも、共にした
人達のことは、忘れないものです
とはいえ、時は常に流れ、動いています。
それぞれに必要な”御縁”もあるし
魂の向上は、絶え間なく上を求めるものです。
懐かしい友達と、話をしていて
信仰を持っていた彼女は、その組織からは、
とうの昔に離れていたのだけど
「裁かれるのが嫌だ」と言っていました。
裁いているのは、勿論 ”神”ではなく
”人”だから、その”念”が、負の波動となって
伝わるのです
集団意識というものは、どんなジャンルでも
”起こり得る心理”であるのは事実です。
けれども、「離れる」とか「辞める」とか
「抜ける」のが、問題ではなく、それは、
人生の過程の中での「選択」であるだけです。
あ卒業というのもいいです
”真実”に、目を背けないという事の方が
より大切だと思うのです。
蓋を開けてみれば、エゴであったり
嘘、偽りや、争いがあり、
形だけで中身がなく
信仰なのか依存なのか。
無知でただ、流されていないか…。
それに気付くことの方が、とても重要です。
人生は、人任せには出来ないからです。
真理以外は、常に動いて変化しているのです。
(永代先祖供養以外は、全て自己啓発と
言われる理由はここにあります。)
過ぎし日の”余韻”や”思い出”に生きていては、
後ろ向きであることにも、気付きにくい
傾向があります。
しっかりと今の自分の姿を見つめ、
その先の未来を、どう作っていくか。
自分が踏み出すしか、
自分が変わるしか、
未来を変えていけないのです。
永代先祖供養は、
何千年前も何千年後も変わらない
”真理”であり、一人一人の生命の軸です。
永代先祖供養をした者は、
恩師の光の中で守られ
御先祖様に、護られていますが
常に感謝と、向上心を持って向かってこそ、
その恩恵は深まります
霊格の上がった御先祖様は ”感謝する子孫”を
どこに行っても守って下さいますが
子孫が逆に、生命の軸から離れる時は
御先祖様も血筋で繋がっているので
共に、ゆっくり落ちていくようになります。
それは、裁くことも裁かれることもなく、
子孫が”選択”した、因果応報となるだけです。
誰のせいにも、出来るものでもありません。
自分が蒔いた種は、
自分で刈り取るしかないからです。
今世で無理なら、子孫へ降りていきます。
もし、あなたの心の中で、
今の自分に違和感があるなら、少し離れて、
見つめてみてはいかがでしょうか。
貴方に”時間”が、いつまであるのかは
誰も分かりません。
勿論、万民に言える事ですが
自分の事として受け止めてみてこそ、
人は、問題意識を持つようになるものです。
苦労が多く、涙が多かった人ほど
心からの幸せと、豊かさに満ちて
共に生きる道が「ここ」にあることに
気付いて欲しいです。
御先祖様のメッセージに、心を傾けて
私達の手を取って、
”幸せ”の選択をされるように
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