小学生の頃、
好きだった科目は「道徳」
(体育も得意でしたけど)
それは、幼いながらも
様々な自身の存在に対する
内面の答えや、道を
そこに求めていたように思います。
私は、宗教には、
母の時から御縁が多くありましたが
今は、何か特別な宗教や組織に
所属しているわけでもないです。
学びと実践は必要ですが
真理に生きるということは
1つの宗教を持つことではないと
思うからです
日々、ご先祖様への感謝と
意識を向けるとき
神仏の教えというのが、
とても自然に理解しやすく、
受け入れやすいです。
日本特有の神仏習合が
ご先祖様を通して流れて来た
歴史の道でもあるからかもしれません。
1つの言葉に出逢いました。
最澄の遺した言葉です。
「道心の中に衣食あり、
衣食の中に道心なし」
これは
「仏道を究める心があって、
その後に着物や食べ物は付いてくるもの」
どちらが先でしょうか
今の世の中を見る時、
また自身の人生を振り返っても
逆転しているのを感じます。
確かに衣食住は、
きれいごとなしに、大きい部分です。
衣食住がキツキツだと
余裕もなくなります。
とても大きな部分ですが
衣食住にばかり気を取られ、
大切な道を見失っているのが
”因”となっていることでもあるのだ
と気付きます。
なかなか難しいですが
道心 仏教でみてみると
ことの善悪、正邪を判断し、
正道を行なおうとする心。
仏教を学び実践する心。
徳を高めて道を志す道徳心。
個人的にはどれも響きます
本来何か”道”を行く人というのは
”道徳心”があってこそなのだな…と
この歳になって改めて知り思う時
妥協しながら、生きてきた
自分の過去(選択)が、
今を作ってきたという事実を
受け止めるようになります
永代先祖供養に出逢い
まだまだ浅いですが
ご先祖様に感謝する生活と
真理の道に関心が深まる中で
人としての根源に回帰することは
今の時代だからこそ、本当に
必要なのだと沸々と思うのです。
自分の中に揺らぎない
「根=信」がなく、
ゆらゆらと揺れていること自体
不安な現状を作る”因”でもあるからです。
目先の利害や損得が基準となり
我利の欲にかられ、
薄れゆく道徳心。。。
ご先祖様の叫びでもありつつ
個々人の魂の叫びでもあると
感じるものです。
本当の幸福や豊かさの意味が
何であるのか…
それを再び取り戻していく
現代に唯一の道
『永代先祖供養により、
人は神によって救われる』
その言葉の重みが心に刻まれます
生命の繋がりを辿る家系図を作り
真理の入り口の門をくぐる選択は
幸せ確定の道への一歩です。
未来を、人生を変えるのは
今の”選択”によります。
よき選択をされますように
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